この講義は小麦の歴史、品種改良、栽培方法、栄養成分、そして日本における消費の歴史について詳しく説明しています。小麦の原産地や品種改良の過程、栽培における気候条件、グルテンの健康への影響など、多岐にわたるトピックが取り上げられています。また、日本の食文化における小麦の位置づけについても考察されています。
要点
- 小麦の歴史と原産地
- 小麦の品種改良と遺伝子
- 小麦の栽培と人間の関与
- 小麦の栄養成分とグルテン
- 日本における小麦の消費歴史
- 小麦と他の作物の比較
- 小麦の栽培における気候条件
- 小麦の品種と用途
- グルテンの健康への影響
- 日本の食文化と小麦の位置づけ
章とトピック
小麦の歴史と原産地
小麦は肥沃な三日月地帯が原産地であり、紀元前8400年頃から野生の小麦が存在していた。
- 要点
- 小麦の原産地は肥沃な三日月地帯。
- 紀元前8400年頃に野生小麦の化石が発見されている。
- 小麦は人間によって品種改良されてきた。
小麦の品種改良と遺伝子
小麦は一粒小麦から始まり、品種改良を経て現在の6倍体の普通小麦に至る。
- 要点
- 一粒小麦は14本の染色体を持つ。
- 品種改良により4倍体、6倍体の小麦が誕生。
- 現在の小麦は人間の管理が必要。
小麦の栄養成分とグルテン
小麦粉にはグルテニンとグリアジンというタンパク質が含まれ、これがグルテンを形成する。
- 要点
- 小麦粉の主成分は排乳で、糖質が多い。
- グルテンはグルテニンとグリアジンから形成される。
- 強力粉はグルテン含有量が高い。
日本における小麦の消費歴史
明治時代以前、日本人は小麦をほとんど消費しておらず、主に米や雑穀を食べていた。
- 要点
- 江戸時代、日本人の主食は米と雑穀。
- 小麦の消費は1%以下。
- 小麦は乾物として税として納められていた。
本文
日本の病を治\す\吉野俊明です,今回は小麦の定義と歴史についてお話をしたいと思います,小麦に関しては今いろいろとあらゆる病気の原因だとかグルテンフリーだとか,がんの原因じゃないかとか言われてますけども,私がいつも言っている通りにまず歴史とそれから定義が分かってないと議論に立てないので まずここをきちんと今回は抑えたいと思います。
さて小麦っていうものはどこから生まれてきて そしてどんなように我々が品種改良して そしてどんなものを我々が食べているのかというお話をしたいと思います,小麦の歴史ですけど原産地は肥沃な三日月地帯と言われている場所です これはどこかというと地中海,国会があって、国会があって、それから公会があって、ちょうど今、戦争しているような場所がありますよね。
イスラエルのすぐ近くです。このイスラエルと、それから旧ペルシャですね、イランがあるところの、もう少し北側の国会の南側のあたりに、ここにメソポタミア文明が起きたところですけど、ここはですね、オアシスが出るところで有名なんですね。この山脈になっているので、空気が上がろうとすると、ここだけ雨が降る場所なんですよ。日本で言えば、日本列島があって、冬になると西高東低ですから、西から風が吹いてくると、日本列島が上がろうとすると、そこで雨が降る。
これが雪になって、冬は日本海側がたくさん雪が降って、あるいは雨が降って、関東とか東側の方はすごく乾燥するのと同じで、ここも全く同じ構造なんですね。この三日月地帯というのは、山が三日月状になっているので、その下のところだけ、あれだけ乾燥している気候なのにもかかわらず、水がある場所なんですね。なので、実はオアシスがあったり、井戸が吠えたりするのはここだけなんです。そのもっと南は、いわゆるルブアカリ砂漠といいますけども、このアラビア半島は本当に昔から非常に乾燥しているところなんですが、ここはですね、野生の小麦が自生していた場所なんですよ。
なので、ここに小麦があると。ここに小麦が生えたり、あるいは雑草が生えたりしますから、ヤギなどの野生動物もたくさんいると。この遺跡を調べるとですね、紀元前8400年頃に、この野生小麦の化石が出てくるんですね。遺伝子を調べると、野生の小麦があったということがわかっています。これが紀元前が大体8400年ぐらいですから、紀元前7000年ぐらいです。
人間がこれらの作物や野生動物のヤギを飼いならして農業を始めたり、それから落農や畜産を始めたということがわかっています。今、西暦2023年ですから、だいたい9000年くらい前から我々は小麦というものを栽培して食べるようになったということです。そして小麦はですね、もともとは一粒小麦というものなんですけども、
我々人間は46個の遺伝子を持っていて、23次ですよね。お母さんから23もらってきて、お父さんから23もらってきて、46になる。で、つがいになってますよね。こういう状態の一媒体って言うんですけども、植物の場合は2媒体とか4媒体とか、4媒体っていうのがあって、遺伝子の数が倍に,4倍になったりするということが自然界でも時々起こるんですね。この原種は当然1倍体になります。
このゲノムを調べると、野生の小麦というのは7本をセットとする14本の染色体の小麦だったんですね。これを学術的には一粒小麦って言うんですけども、それが何らかしらの偶然で4倍体っていうのができた。これを2粒小麦とかタルホ小麦っていうふうに言うんですけども、またこれが我々が鉱雑をして農業をしているうちに3倍体とか複雑なものがたくさんできたんですね。
これが当時当然3倍体とか4倍体とかっていうことが分かっていなかったとしても、麦がたくさん取れるようになったわけですから、当時の人類としてはこれは非常にいいことですよね。たくさん小麦が取れるものを私たちはさらに品種改良をして、掛け合わせをしてって言って、複雑なことをしています。そういうことを作っていきました。最終的に今我々が食べているものはなんと6倍体です。これを普通小麦と言います。サントリービールかなんかに麦の方が出ているラベルがありますよね。長くて上に長くなっているような矢の尻尾みたいな構造をしているんですけども。
だいたいこんな感じで麦があるというイメージがありますが、これは6倍体なので本当に6分の1くらいしかなかったので、まるでチューリップみたいな形にしているんですよ。ほとんど実がなくてね。これが野生の小麦だったわけですが、これを6倍体になるとどうなるかというと、当然穂が重たくなるわけですよ。で、倒れ込んでくるわけですよ。風に弱い。人間が管理してあげないと生育できない状態になってきたんですね。これはもう家畜だとか同じです。
植物もそうです。人工的に作っていくと弱くなるわけですよ。こうなるといろんな病気ができ始めます。カビの仲間が増えてきたりとか、ウイルスが入ったりとかするので、より丁寧に扱うどころか、農薬ですとか肥料というのが必要になってくるわけですよね。なので、野生の小麦よりたくさん摂れる代わりに、人間が手間暇をかけてあげないと育たなくなっているというのが今の小麦なんですね。
スイカとかバナナなんかもそうですけど、自然のものだ、自然のものだと言いますけど、自然のものではないです。スイカの原種ってこんなに小さいんですよ。で、割ると赤いとこほとんどないんです。白いとこばっかりで種だらけなんですね。この時のスイカは自然のものですから、甘みもほとんどないし、食べるとこも非常に少ないし、バナナもそうです。バナナもなんか黄色くて長いってイメージありますけど、バナナっていうのはこんななんでしょ。丸い形なんですね。皮はもちろんああやって剥けるんですけども、しかも中は種だらけです。
今のバナナは種ないでしょ。種がないのに。どうやって増えるんですか。あれ全部継ぎ木なんですよ。サメヨシノと同じで、バナナの木に種のないバナナを継ぎ木して、そしてプランテーションをしてるんですね。だから今のバナナは子供ができないので、全部クローンです。分身なんですね。小麦もそのようにして複雑なものを作っていたので、小麦の原始というのは、一粒小麦がある一番古いのは、化石で出てくるのは1万5千年ぐらい前なんですね。
その1万5千年前の小麦と、今の小麦とは全然違うわけですよ。少なくとも9千年ぐらい前からは、自然のものではもうなくなっているわけですね。そういうものを食べているんだということです。小麦ですけども、稲と同じですが、外側に肺がっていう皮の部分があって、中に実が入っていて、そして肺乳っていうところですね。お米で言ったら白米の部分ですよね。ここの部分を我々は多くは食べています。
ここ。ここを粉末にして、小麦粉にしているわけですよね。排乳というのが大体83%ぐらいで、ここが糖質がほとんどのところで、タンパク質は少ないというところですね。この中にですね、グルテニンとグリアジンというタンパクが入っています。これらタンパクが入っているのがどこかというと、排乳の中の一番真ん中のところになってくるんですね。なので、小麦粉を粉にしても性質が違うわけですよ。
よく強力粉とか薄力粉なんて言いますけども、真ん中に行けば行くほど粘りが出るんですね。このグルテニンとグリアジンという別々のタンパクが入っているんですが、これを練っていくと、そうするとグルテンというものができていくんですね。これが粘り系になるので、この粘り系で我々は麺類を作ったりとか、ふわふわするパンを作ったりとかすることが始まっていったんです。強力粉って何ですか?というのが一番ネバネバするものですよね。
それで薄力粉というのが割とスカスカしている方なんですが、パンは強力粉を作って使うことがいい。なのでこの中に含まれるタンパクの含有量というのは高くて、11.5%から13%ぐらい。逆に薄力粉になると6.5%から9%ぐらいなんですよね。強力粉、純強力粉、中力粉、薄力粉というこういう分類をしています。我々がこの食べているパンですけども、ここは大体ですね、パン用の種類としては9%ぐらい。
ケーキとかビスケットだとか、それから日本人が食べているうどんですね。これは90.4%ぐらい。これらのものは中力粉とか薄力粉というのがグルテンが少なくなってくるわけですよ。そうするとね、よくうどんもダメなんですか。グルテンに対して病気を持っている人というのは、グルテン不対称という病名をつけるんですが、そうすると確かにですよ。取らなければ取らないほどいいんですけども、パンよりうどんの方がマシっていうことは実際あるわけですよ。だから日本人は割と昔から食べてるのはパンじゃなくてうどんですよね。
だからそういう意味で言うと、より問題が少なかったのはうどんであるということが言えるんですが、このグルテンの含有量を上げていくっていうのが、だいたい1900年代ぐらいからの改良なんですね。これはですね、デュラム小麦っていうのがありますけども、これは人工的に作った種類の小麦なんですけども、これは一番グルテンの含有量が高いんですね。ズバリも西洋の麺ですよね。スパゲッティとかパスタとかで。これのために開発された小麦で、これはだからグルテン含有量っていうのはさらに高くなってるんですね。
なので臨床的にもそうですけども、大腸の病気ですよね。クローン病だとか海洋性大腸炎ですとか、それから最悪は大腸がんになりますけども、こういう方々たちを問診すると、パスタが好き。パン以上に。パスタの方をむしろ初食にしているような。パンもあんまり食べないでスパゲティで食べているような人です。ご飯を全然食べない。こういった人たちがグルテンの含有量の多いこのパスタをやめるということで病気が治っていくということはよくあります。
江戸時代には今の日本と違っていわゆる文献というものは何を食べていたとかそういう文献があるんですけども北海道から沖縄の人までが含めたいわゆる日本民族が何を食べていたのかなんて文献は当然ないんですよ。なぜならば徳川幕府というのはあくまでも徳川家の幕府であって今みたいに日本を憲法や法律で統治している国家じゃないですから統計というものはないんですね。ところが明治政府ができて今でいう農林水産省の農水省ができてそして一体日本人というものがどんなものを食べていたのかということを。
調査しました。これは明治政府になってから江戸時代はどうだったんですかということを調べたものなんですね。ですから今から20年前に皆さんは何を食べていましたかということを調べて明治政府が出したものです。北海道から沖縄まで、実際沖縄は米は取れないわけですけども、北海道も干拓する前ですから青森県から鹿児島県までの統計があります。それは調査が目的ではなくて、より強い軍人を育成するためにはどんな県民性があってどういう人たちが強いのかというためで食料調査が行われました。
その文献からすると、結論から言いますけども、日本人は小麦はほとんど食べていませんでした。1%に上がっていません。これで見ると日本人は平均して50.2%、これを炭水化物を米からエネルギー源として取っていました。約30%ぐらいが泡とか冷えの,雑穀です。残りが芋とか大麦になります。小麦は統計に出るほどの数字はありません。1%以下です。これが結論です。だから昔からあったんじゃないかと。ありました。ありましたけど、常食していたわけじゃないんですね。あったから食べていたかどうかはまた別です。
多くはこれらの少ない食物は、例えばそうめんとかうどんとかという乾物として、素養帳として、税として納められていたことがあるんですけども、庶民が毎日そうめんを食べているとかということはやっぱりないんですね。例えば今の香川県ですとか岡山県はやはり小麦は摂れます。摂れるということは小麦に適している気候があるということです。小麦と米は真裏返しです。
米は大量の水が必要です。水田を作るぐらいですからね。大量の水が必要なので雨がたくさん降らなければできません。もともと高温多湿なものです。今でいうタイぐらいが原産なんです。なので、ものすごく暑くなければいけないです。日本の夏に、梅雨をまたいで高温になるところで夏に栽培して、秋に刈り取るというものですよね。例えば、東南アジアのように、肉作はすごくやりにくいわけで、冬は雨が降らないですからね。
この気候に適しているところで取ると。その裏返し。小麦というのは寒くて雨が降らなくて、実はしぼんも降りてもダメなんですね。そうすると乾燥気候で雨も降らないところというと、これは当然瀬戸内海ですね。瀬戸内海式の気候は梅雨がないですよね。冬も中国山脈で雨を降らせてしまって、夏は四国山脈で雨を降らせてしまって、雨が少ない。なので、多くは米の裏作として、
冬季に小麦を栽培するので小麦が取れる。その小麦は素養蝶として、日本人がどんな穀物を食べていたのかというと、ものすごく差があるんですね。当たり前ですけど、もう薩摩の国になると半分ぐらいが芋だったんですよ。沖縄は米取れないので、当時は。今は品種改良したりしてますけど、土地が元々ね、塩分が多い珊瑚礁の上にできているような島なので、
ここは米が栽培できないので、沖縄の人たちは今でいう紫芋みたいなものを主食としていたんです。米は食べてないんですよ、琉球王国の人たちはね。鹿児島ぐらいだと半分ぐらいが芋だったんですよね。関東から北ぐらいになると雑穀が増えるんですが、大麦もやはり寒いところで取れるので、北の方に行けば行くほど大麦が増えます。そしてやっぱり面白いんですね。米どころなんで、今でいう福井県とか石川県のあたりとかっていうと、8割ぐらいが米だったんですね。だから県民によって全然食べてるものは違うんですが、でもやはり主食は…
米だった。そして雑穀を食べていたと。この米と雑穀とそれから大麦ってちゃんと意味があって、収穫できる時期がずれてるので、全滅しちゃうってことはないんですよ。日出りがあったりとか、例外があったりとか、台風が多く来たとかって言っても、どれかはなんとか行くんですね。日本は多くはお米を江戸時代は当たり前ですけども、税として出していたわけですから、昔の農家の人たちが米を作ってるのにも関わらず、
泡とか冷えを食べていたっていうのは、泡とか冷えで税に出すんじゃなくて、米で今で言う税を払って、泡とか冷えとか大麦を食べていたっていうことが事実です。ですから、よく何々あるっていう文献があるとか、何々のところがあるっていう歴史が証明しているっていうのは、あるかないかだけじゃないってことですね。皆さんにお知らせです。吉野利明オンラインサロンが立ち上がりました。YouTubeでは、バンされて見えない真実の情報、そして西洋医学と東洋医学、なぜ病気になるかなど、詳しいことがこのオンラインサロンでは勉強できます。
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