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がんになって起きた変化 闘病中の人たちに届けたいこととは梅宮アンナさん・吉野敏明 対談 〜後編〜

有名人・著名人

自分の居場所や道は自分で切り開くことの大切さと、経験を共有し他者に貢献する活動について。

要点

  1. 梅宮アンナは約10年前に大手事務所を辞め、個人で活動を始めた。当時は独立する芸能人が少なく、CM出演など大きな仕事を経験した後、より自由な生き方を求めて独立を決意した。
  2. 独立後は雑誌の表紙を飾ることがなくなり、コンビニに入るのも辛い時期があった。自分のプライドや屈辱を感じつつも、自分で道を切り開く覚悟を持ち続けた。
  3. 仕事が少なく「氷河期」のような時期もあり、芸能界ではタブーとされるパチンコ営業なども経験した。ギャラの良い仕事と内容の良い仕事の間で葛藤しながらも、生活のために様々な仕事をこなした。
  4. ブログやインスタグラムなどSNSを活用し、自分の活動や考えを発信してきた。インスタグラムでは一度アカウントを削除した経験もあるが、再開し現在は2回目のアカウントで活動している。
  5. 昨年がんを公表し、抗がん剤治療を受けながらSNSで情報発信を続けたことで、同じ病気を抱える人々や新たなフォロワーが増えた。病気を公表したことで、今まで興味のなかった人々にも活動が届くようになった。
  6. ピンクリボンなどの啓発活動や、医師との対談、患者会での交流などにも積極的に参加している。
  7. 抗がん剤治療による脱毛を経験し、ウィッグの重要性を実感。高価なウィッグが多い中、安価で質の良いウィッグを見つけて紹介する活動も行っている。自身の経験をもとに、同じ悩みを持つ人々に情報を発信し続けている。
  8. 今後も自分の経験を活かし、同じ境遇の人々に寄り添いながら、社会に良い影響を与える活動を続けていきたいと考えている。

 

ハイライト

  • "自分の居場所、自分の道は自分で切り開こう。" — 梅宮アンナ
  • "地球の裏側まで、私のやっていることが届いてほしい。" — 梅宮アンナ

 

章とトピック

  1. 梅宮アンナの独立とキャリア
    • 約10年前に大手事務所を辞め、個人で活動を開始。
    • 独立後は雑誌の表紙を飾ることがなくなり、辛い時期もあったが、自分の道を切り開く決意を持ち続けた。
    • パチンコ営業など、芸能界ではタブーとされる仕事も経験した。
  2. がんの公表とSNSでの発信
    • がんを公表し、抗がん剤治療を受けながらSNSで情報発信を続けたことで、多くの新たなフォロワーを獲得。
    • 病気を公表したことで、今まで興味のなかった人々にも活動が届くようになった。
    • ピンクリボンなどの啓発活動や、医師・患者会との交流にも参加している。
  3. ウィッグの重要性と支援活動
    • 抗がん剤治療による脱毛を経験し、ウィッグの重要性を実感。
    • 高価なウィッグが多い中、安価で質の良いウィッグを見つけて紹介する活動を行っている。
    • 同じ悩みを持つ人々に寄り添い、情報発信や支援を続けている。

 

提案

  • 自分の居場所や道は自分で切り開くことが大切。
  • 自分の経験を共有し、他者に良い影響を与える活動を続ける。

本文

00:00:05
ちょっと話を変えましてね。梅宮さんが独立して、今お仕事してるでし。
00:00:10
ょ?そうですね。
00:00:11
で、それの走りじゃないですか。
00:00:14
うん。もう思い返すと十年ぐらいになり。
00:00:18
ますよ。
00:00:18
ねは。
00:00:19
い。今なんか時代的にこう。芸人さんも含め、ええ、芸能界の人も含め。まあ、アイドルなんかもそうですけども。ユーチューブですぐチャンネル作れちゃうから。
00:00:28
そうですね。
00:00:29
でも、十年前は全く違うでしょう。
00:00:32
いやもう、その大きな組織から辞める人って多分当時いなくてですね。ただ、なんとなく私はもうその当時ですけど。もうたくさんいいお仕事をさせていただいて、もうこれやったらこれ以上ないよねっていう、自分の中でのトップクラスのCMをやった時に、あとはなんかそれを現状維持をして、繰り返しいろんなことをやっぱり誰しもが知ってるCMに出るっていうのは大変。いろいろこうルールが厳しくて、それを。
00:01:14
ずっとやんなきゃいけないのが、ちょっと私、無理だなと思って。で、もうちょっと自由に生きるためにはみたいな感じで。こう、まあ、お仕事の質は下がりますけど、でもなんかいろんなこう、自分で動きたかったんですよね。だからそれこそ事務所に当時社長にこう、まあここ今辞めたらね、もう本当に人生コロコロ転がる坂道、転がる状態になるよと。って言われたんですけど、いや、でもやってみたいと。自分でやっぱ大きい会社にいるから、このいいお仕事ができたっていうことがもう頭ではわかってたんで、あとはじゃあちょっと自分でやってみますっていうことでやめて。もうそれはもういろんなその、今度個人で動くわけだから、全部動いた分しか返ってこないわけです。そ。
00:02:09
う。ですね。
00:02:10
ではって。それこそ辞めた当時なんかもう何年五年ぐらいかな。やっぱりコンビニに入れなかったんですよ。私でなんでかっていうと、自分が雑誌の表紙を飾ってました。で、ところが辞めたからもうないわけですよ。私には来ない表紙が。で、もう辛くてね、やっぱりその自分がやってたのに自分が。
00:02:42
やっぱりもう表紙になれないんだってなった時の屈辱と、自分のその持ってるそのプライドがいや、きついな。よし、コンビニ入るのやめようと思って。それでやっぱりそういうこともありました。で、とにかく自分で選んだことだからね、そんな風になんかダメなんだと。そういうことを思っちゃいけない、自分で。やっぱ自分の居場所、自分の道は自分で切り開こうっていうふうに。そうですね。当時を思ってずっと来て、やっぱり本当にもう険しい道をいろいろ行きましたけどね。やっぱりそうそう、お仕事なんていうのもないし、結構氷河期みたいな、海にあんな氷河期みたいな感じの時がやっぱあったんですよね。
00:03:39
その時はどんなお仕事があったか。
00:03:42
なんか、それこそ芸能界ではちょっとご法度みたいなパチンコ営業とかあったんですよ。そうね。でもすごくギャラが良くて。当時。
00:03:56
パチンコ屋さんで、なんかトークとか。
00:03:59
するんですか?はい。誰も見てないの。今はもうちょっと法律でダメになっちゃったみたいなんですけど、うちの父もやってたんですよ。そこはね、松方弘樹さんとかと一緒にやられてて。で、やっぱり両方あるわけですよ、この仕事って、例えばすごい内容が良くないんだけど、ギャラがいい。で、ギャラがすごい。要はダメなんだけど、内容がすごい。これは今やっといた方が先々いいなみたいなのがあっても、どっちかなんで。でもやっぱり当時大きい会社を辞めた私は、もう本当に何か心が荒むようなお仕事をやんなきゃいけないわけですよ。もうそう食べちゃいけないからで、ただギャラがいいっていう。
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でももう多分来年私ないなみたいな感じで。まあ、そういうお仕事があったんですね、世の中には。で、そういうのをやって。海に花だってこう気づいて、おばちゃんたちとかおばちゃんとかがよくよってきて、ああなったとか言ってもね、もうテレビに出なさいよとか言ってね。言うわけ。いやいやいや。テレビっていうのはスポンサーがいまして、スポンサーと借りて、自分で出たいっつって出れるもんじゃないんですよって心の中ですっごい叫んで。で、そういう時もあって、とにかくいつも思ってたのは、何か自分にできること、自分にしかできないことっていうのをずっとずっとこう望んでいて、どうにかこうにかやるんですけど、でも。
00:05:48
去年とにかくこの自分が癌になった時に、一番人生の中であってる仕事がなんかあるような気がしたんですね。やっぱり自分の、例えば私生活とか、自分のやっていることとか、もともと聞かれたら隠すことなく言うのが性格上。そういう人だったら多分向いてたんだと思うんですね。だからちゃんと公表して、で、ちゃんと今日も先生ともお会いすることになったのは、やっぱり公表しなければなかったんじゃないかなっていうところで、大きい会社を辞めた時に、地道にブログをやってたんですよ、ずっと。で、当時まだ今みたいにインスタがなくて。で、地道にやってて。で、インスタが日本で。
00:06:37
やり始めた時にもすぐにやったんですけど、ある時ちょっと大きな災害があった時に、やっぱりすごいこん、そんなことやってんじゃないみたいな。そんなことやるんじゃないとかってこう書き込みに。あのブログの時は守られてたんだけど、なんかインスタの時守られてなかったからびっくりしちゃって。で、1回捨てちゃったんですね、インスタを。それで、あのまた第2回目。今、今のインスタは第2回目なんですけど、この自分の性格と芸能界だけの感覚だったら、もう今生き残れないんですよ、本当に。だからちゃんと一緒に働く人が芸能界の。
00:07:20
人じゃない。人じゃないと生き残れないなと思って。
00:07:28
でもあれですよね。梅宮さんがこう自分からこう降りてって、こう引きずり押さえたとかじゃなくてね。自分の足で降りてって。で、ご病気になられても、自分で公表するっていう、こういうことをやったことが、結局これからの人生にすごくいい糧になってますよね。
00:07:45
というふうに。もうとにかく駆け足で。去年の7月31日から抗がん剤治療が始まったと同時に、もう色々エスエヌエスで。こう言ってきたことが、今やはり、この八ヶ月間にかけていろいろやってきたことが、やはりお医者様の目に留まったりとか、もともと梅宮アンナに興味がなかった人がものすごくこの病気になったことで、癌という病気を抱えになっている方々も含めて、フォロワーがすごい増えたんですね。
00:08:22
なるほどな。
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るほどで、やっぱり。今までのフォロワーさんもすごく、これは全部私にとってもすごい宝物なんだけども、やっぱり何をしてもいいね、いいね、アンナちゃんかわいい。いいね、その福床のとか、そういう人たちに支えられてきたんだけども。でも病気を公表することによって、今まで梅宮アンナに興味がなかった。方。々がフォローしてくれることってすごい大きくって。だからちゃんと。
00:08:55
地球の裏側まで、私のやっていることが届いてほしいっていう真面目に思っていることが、やはり今こう、先生方とあの登壇したりとか。まあそういう、例えばピンクリボンとか、まあ、そういう方面からお声をいただきまして。で、なんか。本当にやってきて。多分一番合ってるんだと思い。ます、なるほ。ど、その活動がはいち。
00:09:23
ょっとお願いしてもいい。
00:09:24
ですか?は。
00:09:24
い、あのうちの、例えばね、乳がんの患者さんたちとこう集めて、そこで。二。人でお話をしたりして。そう。
00:09:32
ですね。それでちょっと質問を受けたりとか。それなんですよ、やりたいのが私自身そ。
00:09:37
れ。いいで。すか。はい。あの。資生堂みたいにお金出せませんけど。
00:09:40
いやいやいやいや、でも本当にね、あの、病院行ってもですね、あの、声をかけてくれて。あの、じゃあ私。もう一緒なの?とかって言われるとね。もう本当にお互い2人でよく涙をするんですけど、私のすぐ泣いちゃうんで。でもなんかそういうふうに、とにかく私のその経験。とともに、あとやはり私、今これ先生ウィックなんですよ。で、ウィックだけど乳がんっていうのは皆さん抜けちゃうじゃないですか。体中の全体毛が抜けちゃって。私も今まつ毛は全くないんですけど、なるほど、アンナちゃんみたいな、そういうウィックがあるんだっていうことも一つ大事なことだったと思う。とっても大事ですね。髪の毛がなくなっちゃった私、こんな抗がん剤でなくなっちゃったって見せるのは。
00:10:30
ちょっと嫌だったというか、なんかそれをやってる人は他にもいらっしゃるんで、なかなかこうウィッグを見せてくれる人があまりいなかった気がして。安くてちゃんとクオリティの良いものを私は使ってるんですね。やっぱりすごく有名なと。このウィッグだともう高くて、もうびっくりしちゃうぐらい高いんで、逆に皆さんやっぱり言うんですよ、ウィッグ高いからもう高いって。いう言葉しか聞こえてこなかったんで。これはじゃあ、安いところを見つけて、皆さんに教えてあげなきゃ。
00:11:06
とか。ね、そういう活動を私は今後もやっぱりやっていきたいですし、そのためにはやはりアンナちゃんがあんだけど、ちゃんと仕事もしてできるんだとか、そういう形で皆さんにいいことを広めていきたいですね。
00:11:22
素晴らしいです。ね。僕も講演するとこの間もやったんですよ。2000人ぐらい集めてやったりしてるので、もし。よければ、そういうとこ来ていただいて、そんな話をしていただきま。
00:11:31
すよ、行きますよ。行きますよ。はい、ぜひそんなので。
00:11:35
やらせていた。
00:11:36
だきます。ぜひぜひ本当にお声かけてい。ただいて。本。当にあの感謝です。ん。
00:11:41
で、こういうオチにはなるとは思わなかったんですけども。よろしいですね。は。い。というわけで、今回のゲストは梅宮アンナさんでした。どうもありがとうございました。どうもありがとうございました。じゃあね、バイバイ、日本の病を治す吉野利明でした。ご視聴ありがとうございます。好評いただいております吉野敏明オンラインサロンのご紹介をします。毎月1回のライブセミナー、そしてこのライブセミナーがアーカイブで一年間すべてを見ることができます。ぜひともご入会いただきたいと思います。方法は概要欄のとこに出ていますので、ぜひそちらをご参照ください。さらに、吉野敏明式。

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